戦国魂の鈴木智博氏プロデュースによる月山富田城ゆかりの
戦国武将『山中鹿介』のコンセプトルーム「山中(やまなか)御殿」の宿泊プラン
販売中です。当館サイト内のご宿泊プランからもお申し込み頂けます。
インテリアには、武将や城郭墨絵、近年ではアニメキャラクターの墨絵で知られる
墨絵師「御歌頭(オカズ)」の墨絵4作品を採用。
掛軸は弟子に戦国武将御子孫を多く持つ、太田松峰氏直筆の作。
鍛冶工房弘光の三日月・尼子氏家紋入り燭台、安来市広瀬町の市民グループの方による手作り鎧兜、銅鏡を展示。
アメニティにもこだわり、山中家家紋入りハブラシ、山中鹿介タオル、地元の銘菓
「鹿之介」も用意。
定員:2名様(基本は1名様) ※中学生以上ご利用可能
仕様:本間4.5畳 禁煙
山中鹿介幸盛について
戦国大名「尼子氏」に仕えた戦国武将。尼子家随一の猛将として知られ、「山陰の麒麟児」の異名を取る。
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話が有名。
一度毛利氏に滅ぼされた尼子氏を再興するため尽力した。その過程で織田信長を頼り、明智光秀や羽柴秀吉
(豊臣秀吉)の下で戦ったが、最終的には上月城で毛利氏に敗れ、人質として毛利輝元の下に連行中、備中高梁で誅殺された。
最後まで主君に忠義を尽くし、御家再興のため奔走する姿は「武士の鑑」とされ、その生き方は多くの共感を
得た。享年34歳または39歳と言われている。
長男とされる山中幸元(鴻池新六)は酒造業を始めて財を成し、豪商鴻池財閥の始祖となった。
戦前の小学校の教科書では、山中鹿介幸盛が忠臣の代表として教えられた。
ニッカウヰスキーの紋章には、山中鹿介幸盛の兜が描かれている。